2010831日火曜日から93日金曜日まで

中国吉林省延辺朝鮮族自治州旅行(福田茂隆)     2010.9.172)

中部国際空港(名古屋)から韓国仁川空港経由(トランスファーで4時間程度滞在)で、その日のうちに、中国延吉朝陽川空港へ。
・大韓航空(日韓間)は、韓国語・日本語・英語の機内アナウンス。
・中国国際航空(韓中間)は、中国語、朝鮮語、英語の機内アナウンス(中国語と朝鮮語のバイリンガルの乗客が結構いる)。
・延吉空港に両替所なし。

・ホテルでも円の両替は駄目。(信用カードの提示を要求されたが無かったので、デポジットを人民元で要求された。人民元が少ししかなく、日本円3万円で我慢してもらう(透かしをしつこく確認し、番号までメモされる)。フロントの漢族の職員とは言語不通、朝鮮族職員と、片言朝鮮語で、押し問答。)

・ホテルまでのタクシー代を確保すべく、中部国際空港であらかじめ1万円だけ人民元に交換(レート悪い)しておいた。
・到着の翌日、吉林銀行で5万円を人民元に交換(レート良い)(朝鮮族で日本語できる人が応対)(円の両替が珍しいらしく、ダンボールから取り出した偽札発見器の使い方に手間取っていた。その間、透かしもしつこく確認)。
・宿泊(延吉):延辺国際ホテル:(白山ホテルと、吉林銀行を挟み、隣)
(ホテルの職員では、客室係り1名が日本語できた。朝鮮族とは片言朝鮮語で。漢族とは言語不通。)

名物1:犬肉のシャブシャブ(普通の部分・表皮のゼラチン状の部分)(鍋でぐらぐら湯を張り、豆腐と糸蒟蒻を入れる。肉を入れ、茹で、ヤンニョムを付け食べる)(高級狗肉店「英子」の隣の「韓城」で食べた)。
写真

名物2:冷麺(スイカ、蕎麦粉を澱粉で固めた黒いヌードル、茹で卵、 きゅうりの千切り、錦糸玉子、キムチ、つくね、チャーシュー、海老)
(「金達来(チンダルレ)」(朝鮮語で「キムダルレ」と読めるが、中国語で「金」は「チン」と読まれる。すると「チンダルレ」となり朝鮮語でつつじの意味になる。)が営業時間終了後だったので、その近くの「三千里冷麺部」で食べた)。
16171819

町には驢馬車もいる。
写真

到着翌日、図門まで、行きはバスセンターからおんぼろマイクロバス、帰りは列車(硬座席)で、行く。
(券はデジタル。)(駅では待合室入場時に荷物X線検査。その後15分前改札。)
写真13(図門駅前)、14(駅の案内図)、15(切符)

図門の中朝国境(ゲートの右脇の路地から見物。日本人は橋に乗せてくれない。(片言日本語のできる)土産物屋あり(朝鮮の紙幣など:図門駅の待合室でも)。)
国境の豆満江は、岐阜の長良川よりも細い。50メートル程度。川原に草が茂る。対岸に人影なし。
写真101112

図門には、リクシャー多い。タクシーは、漢族で言語不通、乗れず。

延吉も図門も野良犬多い。糞が落ちている。唐辛子が干してある。
写真6(図門にて)

車の運転は、韓国よりも荒い:歩行者信号青でも、安心できない。歩行者に気遣いせず無理やり曲がろうとする。

夕方から、公園で、羽根蹴りをやる者達がいる。爆竹が鳴る。

時刻は、北京時間であり、日本・コリアより1時間遅いが、経度は日本・コリアと変わらないので、時刻から見ると、早寝早起きの生活で体内時間と調整される。

三日目には延辺朝鮮族自治州博物館(無料)と、在来型の西市場(食品(種類豊富:マツタケも)、衣類、家具・・・、アメ横の比ではない)に行く。
写真20(博物館)、 写真2122232425(西市場)、 写真26(西市場近くの百貨店で)

・朝鮮族の誕生(博物館の資料に従い、咀嚼し、まとめてみた。)
 .生計目的の農民移住(19世紀半ば〜1910
   朝鮮の飢饉(私注:+清朝の満州他民族入境禁止政策の弱化)
   1846南満地区水田農事最初開始(私注:朝鮮人が満州に稲作導入)
   1875本格的水田農事開始
   1909間島協約(私注:国境の土門江とは、豆満江(図門江)か松花江か論争があったが、豆満江で決着させる条約を日本と清が結ぶ。間島(延辺)と満州鉄道を交換したわけである。)・安重根義士が伊藤博文射殺
 2.抗日目的の愛国志士移住(19101931
   1919三一運動
 3.日帝による強制移住(19311945
(私注:「
朝鮮人移住対策ノ件」(1934年10月岡田内閣閣議決定)。人口稠密地区である朝鮮南部の農民の困窮による内地渡航を、満州開拓移住でもって抑制しようとした。この事で、移住した朝鮮人は、日本敗戦で棄民されたわけである。ここに、朝鮮族が、間島(延辺)だけでなく、黒竜江省(満州北部)にまでいる理由がある。) 
   1931 9.18事変(日本の満州占領)
   1945 光復
   1952 延辺朝鮮族自治州成立
 (私注:中朝間では、国境は豆満江で決着済)

新華書店:朝鮮語での各教科テキストも豊富

朝鮮族の比率は4割程度か(実感)(食い物屋で片言朝鮮語を使うと、漢族の店員がそばの朝鮮族の店員に対応を委ねる)。
(駅やバスセンターや市場では、朝鮮語が通じた。)
(漢族は朝鮮語を解さない!)
タクシーには延吉で5回乗ったが全て漢族だった(言語不通なので、「地球の歩き方」の地図を利用して行き先を伝える)。
(タクシー代が安くてメーターの額面では気の毒なので、いつもチップを多少渡した。
但し、会計時にふっかける運転手には渡さない。メーターを倒さない運転手はいなかった。)
日本語ができる人は余りいない(ここが韓国との違い)。

帰国時、延吉空港では、まずパスポートと発券予約書類を提示して、出国審査場に入場してから、中国国際航空デスクで搭乗券を発給され、鞄を委ねる。デスクの漢族職員とは言語不通で、朝鮮族職員と問答し、鞄を仁川で日本行きに積み替える手配を求めたが、何故か拒否される。結局、仁川で韓国に一時入国する羽目に。おまけに、韓国出国前に大韓航空のデスクで、私の搭乗経路の再確認で電話を掛けまくられる事に。

補足:(ここのみ、2010.11.22記)
・朝鮮族自治州の公共スペースでの主言語は中国語である。何故なら、店に入ると、店員は先ず中国語で話し掛けてくる。
・朝鮮族自治州でホームレスは見掛けなかった。

再補足: (ここのみ、20111.01.09記)
・中国は、車は右側通行。車の右折は、信号の色に関わらず、可能なので、歩行者は要注意。