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このあたりでは,濃尾地震の時だけでなく,それ以前から梅原断層が動くたびに似たような変位を繰り返してきており,「湖」にあたるものがしばしば形成されてきたところだそうです。明治時代にやっと新川の掘削や「伏越」ができるようになったことになります。とりわけ,鳥羽川より西側からの水は「伏越」だけを頼りにして排水していることになり,ここから市役所付近にかけての地域は最も低い場所を形成しているため,現在でもたびたび水没します。「伏越」の水門でみられるゴミのたまった光景は,何となく水はけの悪さを連想してしまいました。 |