岐阜大学教育学部理科教育講座(地学)
理科教材データベース
新刊紹介:ジェームズ・ハットン-地球の年齢を発見した科学者
ジャック・レプチェック(著)・平野和子(訳)・川上紳一(日本語版序文)
春秋社、2004年10月20日.




 本書は、近代地質学の基礎をつくったスコットランドの地質学者ジェームズ・ハットンの物語である。ハットンが活躍した18世紀のエディンバラでは啓蒙活動が盛んで、デビッド・ヒューム、ジョセフ・ブラッグ、アダム・スミスなどの世界的な思想家や科学者が集まってサロン的雰囲気の中で自由な討論が行われていた。ハットンは医学を学んだが医者にはならず農場を経営する傍ら身近な自然を観察し、地球の年齢が想像を絶するぐらい古いことに気がつく。

 18世紀のヨーロッパでは、キリスト教の創造神話に基づいて、地球は神の天地創造によってつくられたと考えられ、旧約聖書の記述からそれがたった6000年前のことであるとされていた。まだ教会の権威は揺るぎないものであり、そうした考えを否定することは地動説を唱えたコペルニクスと同じ運命をたどることを意味していた。だが、リベラルな雰囲気のエディンバラでは、ハットンの内に秘めた世界観を公にする機会が与えられたのだった。

 ハットンは農場でみられる大地の侵食作用を観察する。侵食作用は雨水や河川の水によって大地が削られていく作用である。こうした作用は毎年ほんの少しずつ進行するが、長い年月が経過するとグランドキャニオンにみられるような大きな谷状地形を生み出すことになる。ハットンはグランドキャニオンほどでないにしても、農場周辺でみられる地形に、太古の昔から現在まで果てしない時間が流れていることを読みとった。

 さらに、山の岩肌に露出する地層とその変形を観察した。地層に含まれる化石は、現在高い山の上にある地層がかつて海底で堆積したことを物語っていた。その岩肌はいま地表に露出し、雨水による侵食によって岩は砂粒へと砕かれ、海へ向かって運ばれている。すなわち、かつて海底だったところがいまは陸になり、陸からふたたび土砂が運ばれて海の底で地層が作られている。地球の営みは、こうしたサイクルを果てしなく繰り返すことなのだ。

 では、海の底が陸になったり、地層を大きく押し上げ、変形させる力はどこからくるのか。ハットンは、そうした力が地下でできたマグマが上昇してくることによるものと考えた。また、そのマグマは地下でゆっくり固まって花崗岩という岩石を生みだしている。そうした現象を証明する岩肌をもとめて、スコットランド地方の調査に出向いている。

 こうしたハットンの考えは、今日斉一説と名づけられている。ハットンは自分の考えをエディンバラのサロンで発表し、論文としてまとめ、さらに「地球の理論」という著書にまとめた。だが、こうした著作を執筆しているころにはすでに病床に伏しており、記述はわかりにくく、旧来の学説をくつがえす新しい地球観として広く浸透するものにはならなかった。

 結局、ハットンの偉大な考えは、ジョン・プレイフェアというハットンの理解者であり伝道師でもあった人物によって解説され、そちらの本がよく読まれた。この本を読み、広くヨーロッパの地質を観察してまわったチャールズ・ライエルが「地質学原理」という大著でハットンの斉一説を発展させていった。ライエルの「地質学原理」は、チャールズ・ダーウインに感銘を与え、進化論を生み出す芽ともなった。

 さて、ハットンがどうしてこうした考えにたどり着いたのか。これはたいへん興味深いものであるが、ハットンの著作には残念ながらそうした記述はない。ハットンの活躍したエディンバラの文化的雰囲気、ハットンが大学で学んだ学問、スコットランドの自然・・・本書に書かれた多くのエピソードから、ハットンの思索の背景を探ることができるだろう。

 いずれにしても、ハットンが唱え、ライエルが発展させた斉一説は、その後の地質学の発展に非常に大きな影響を与えた。その影響がはかりしれないほど大きく、そのことが後の時代の地質学の革命的発展といういくつものドラマを生みだした。現代の地質学の急激な進歩を前に、もう一度近代地質学の父であり、斉一説の原点を唱えたジェームズ・ハットンの足取りをたどる旅は有意義なものである。そんな時間旅行を多くの読者に楽しんでいただきたいものである。