岐阜大学教育学部理科教育講座(地学)
理科教材データベース
アリをだますゴマシジミ
-分子系統学が解き明かしたゴマシジミのたどった歴史-
2004年11月21日

 青い色をして可憐に舞うシジミチョウのなかに、ゴマシジミという種がいる。ゴマシジミの幼虫は小さいときにはワレモコウなどの植物を食べるが、成長すると地面に降りてアリの巣の中で成長する。幼虫はアリを食べる肉食性である(捕食性ゴマシジミ)が、こうしたなかにアリに餌を与えてもらって成長するもの(カッコウ型ゴマシジミ)がいる。ゴマシジミの幼虫は、アリを捕まえて食べてしまうのではなく、自分がアリの幼虫のようにみせかけて、アリをだまして養ってもらっているのである。

 こうした寄生関係がどのようにして成立したのだろうか。デンマークのアルスらの研究グループは、ヨーロッパからアジアに分布するゴマシジミを収集し、遺伝子の分子配列を比較して近縁関係を定量的に調べる分子系統学的解析を行った [1]。生物種とは形態や生息域などをもとに種が定義されて、分類や系統関係が調べられてきた。そうした研究で得られたゴマシジミの種の多様性や系統関係、遺伝子の分子配列から得られた結果は必ずしも一致するとは限らない。いや、大きく異なっているからこそ、研究者を興奮させ、新たな探求活動へと情熱を傾ける力を与える。

 アルスらは、ゴマシジミの系統関係図を作成し、カッコウ型のゴマシジミがいつごろ派生したのかを明らかにした[1]。まずカッコウ型のゴマシジミは約500万年前に捕食型ゴマシジミから分かれたグループであることが示された。興味深いことは、捕食型ゴマシジミは遺伝子の分子配列に大きな変化が生じ、多数の種へと枝分かれしていった。そうした種を形態から見比べると、いずれもよく似ており従来の系統分類学では同一種として見なされていたものが多数ある。こうした形態的には同一であるが、遺伝子の分子配列では異なる種は"隠蔽種"と呼ばれている。

 もし、これまで一つの種として認定されていたものが多数の隠蔽種からなるとすれば、これまでも絶滅危惧種とされていたものがさらに小さな分類群の集合でることになり、それらはいっそう絶滅危惧の危険性が高いことを意味する。こうした結論は、生物保全活動家を震え上がらせるものだ。

 もう一方のカッコウ型ゴマシジミも従来は2つの種に分類されていたが、分子系統樹では多様性が大きく小さく、本来ひとつの種であったものが地理的広がりによって生態学的に分化した種であるとみなされた。

 似たような話は、よく似たカタツムリで右巻きと左巻きで異なる種とされていたものがあるが、進化の過程で右巻きだったものが突然変異で左巻きになり、それが再度突然変異して右巻きにもどったものがあるという。それらの形態を比較すると本来の右巻きカタツムリと2回突然変異したカタツムリを形態的に見分けることは困難だという。

 昆虫などの生物の世界を見つめると、生物の進化はとても神秘的である。科学は生物のもつ神秘性を科学的に解明していく。その先にはベールに包まれた新しい神秘が現れてくる。日だまりの中で舞うチョウを見ていると、それがどのような歴史をたどったのかを尋ねてみたくなる。しかし、その答えを求める営みは科学的探求しかあり得ないのだ。

 では、自然を解き明かす研究は、いまやハイテク装置を駆使するような一部の専門家の手にゆだねられてしまったのだろうか。そうした専門家は、確かに高度な分析技術を使いこなす。しかし、その際に必要な標本は、やはりこれまでのように野山で生物の生態を地道に調査していき、必要な生物がどこにどのように生息しているのかに関する情報がなくては得ようがないだろう。ここに誰もが科学の進歩に参加する余地が残されているのではないだろうか。

[1] Als, T. D. et al. (2004) The evolution of alternative parasitic life histories in large blue butterflies. Nature, 432, 386-390.