岐阜大学教育学部理科教育講座(地学)
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法隆寺再建論争と年輪年代学
2004年12月02日

 奈良県斑鳩町の法隆寺南大門前で、7世紀前半の壁画の破片が多数発見された。これらの壁画は高温で焼かれた痕跡があったこともあり、2004年12月02日にさまざまなメディアでニュースとして取り上げられた。

 日本書紀によると、法隆寺は天智9年(西暦670年)に全焼したとされる。ところが、法隆寺の建築様式を根拠に日本書紀の記録がまちがっているという立場がだされ、長い間論争が続いていた。今回発見された焼けた壁画は、焼失が歴史的事実であるとする立場にとっては有力な物証が発見されたことになる。

 実は、こうした法隆寺再建論争について、数年前に歴史学以外の分野から新たな証拠が提示され、注目されたことがある。奈良国立文化財研究所が世界最古の木造建築である法隆寺の心柱の年輪を分析し、この柱が西暦594年に伐採されたものであると発表した。もしこの年代が正しければ、法隆寺の全焼はまちがっていたことになり、再建説を否定する科学的証拠が提示されたことになる。

 年輪幅の計測に基づいて樹木の年代を調べる研究分野を年輪年代学という。年輪幅は樹木それぞれに個性があるので、多数の樹木を計測して標準曲線を求めていく。標準曲線は現在から過去に向かって、古い樹木試料を集め、計測した年輪幅をバーコードを照らし合わせるようにパターン合わせして伸ばしていく。そうした研究は、多くの樹木試料を集めることが必要だから誰もができるというわけではない。

 日本での年輪年代学の先駆者は奈良国立文化財研究所の光谷拓実研究室長であり、これまでほぼ独占的に歴史的建造物や考古遺跡から発掘された試料の年代測定を手がけてきた。しかし、法隆寺の五重塔の心柱の例でみるように発表されたのは年代値だけであり、根拠になった標準年輪曲線と研究に使われた心柱の年輪幅をつき合わせた客観的データとその統計的検定の詳細は未公開なのである。

 考古学分野では、旧石器捏造事件以来、研究結果について第3者による評価や検証が必要不可欠であるという認識が高まっている。実際、先に述べた奈良国立文化財研究所の発表について、データが未公開である点など、批判が多く出されている。

 今回、法隆寺から出土した焼けた壁画は、法隆寺再建論を裏づける証拠であるだけでなく、年輪年代学で導かれた年代値についても、必ずしも客観的なデータであるとは限らないことを示唆している。そうだとしたら、求められた数値だけでなく、その数値をはじき出す根拠となったデータについても公開しなければ、提示された年代値は信用を失いかねないことになる。

 いずれにしても法隆寺再建論争と年輪年代学の現状について、議論が高まっていくことを予感させるメディア発表であった。