岐阜大学教育学部理科教育講座(地学)
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珪素同位体比から推定された古海水温度の変遷
2006年11月15日
 現在の地球の平均海水温度は15℃である。この値は表層海水温を示しているので、海水温度の深度分布からすると深海の海水温度は0℃程度であろう。では、地質時代の海水温度はどれくらいだったのだろか。フランスの地球化学者たちは、世界各地の35億年前から8億年前までの先カンブリア時代の地層から採集されたチャートという珪酸(石英)からなる堆積岩について、酸素と珪素の同位体比を測定し、この期間に海水温度が70℃から20℃へと徐々に下がってきたと発表した[1]。

 これまで古海水温度の変遷は、チャートの酸素同位体比のデータに基づいて復元されてきた。顕生代の地球におけるチャートの形成は、放散虫などの生体鉱物形成過程(biomineralization)が支配的である。こうした生物が出現する前の先カンブリア時代では、海水中から直接珪酸が沈殿してチャートが形成されたものと考えられてきた。そしてチャートとそれを沈殿させた海水の間の酸素同位体比の分別は、温度の関数になっていることから、先カンブリア時代に堆積したチャートの酸素同位体比から海水温度が推定されてきた。

 実際には、測定データはかなりばらついており、測定データの最大値が堆積時の同位体組成を保持しており、低い値を示すデータは堆積後にチャートと間隙水のあいだの同位体反応を受けていると解釈された。この解釈については、そもそも測定データのなかでもっとも高い値が初生値であるという保証はないことを理由に、結果が信頼できないのではないかといった批判があった。

 フランスの地球化学者たちは、今回酸素同位体比だけでなく、珪素同位体比を測定し、酸素同位体比から推定された古海水温度の変遷が信頼できるものであると論じた。彼らは、岩石試料をよく吟味して堆積後に変質したものを除去し、さらに酸素同位体比の値が低い試料のデータを棄却し、残った40のデータについてみると酸素同位体比と珪素同位体比に正の相関があることを見出した。珪素同位体比は−2‰から+6‰の間の値をとっており、現在の海底の熱水噴出孔などで形成されている珪酸の珪素同位体比に比べ、系統的に高い値であったため、こうした値が過去の海水の同位体比を反映しているものと考えた。

 では、海水中の珪素同位体比はどのようなしくみで変化するのか。珪素は地殻やマントルから溶け出して海水に供給される一方、堆積岩中での沈殿や、海底での熱水活動にともなう沈殿作用で除去されている。このうち熱水活動にともなって沈殿する珪酸は相対的に負の同位体比をもつというデータがあり、熱水活動による除去の割合が高いほど、海水の珪素同位体比が高くなる。さらに、熱水活動による珪酸の沈殿量は、溶解度の高い高温の熱水と海水の温度差が大きいほど増大すると考えられる。こうした過程によって、海水の珪素同位体比が変動したとすると、熱水と海水の温度差が大きいほど、珪素の同位体比が大きくなるといえる。

 そこで、酸素と珪素の同位体比の正の相関関係を用いて、酸素の同位体比から推定された35億年前の海水温度70℃と8億年前の海水温度20℃を用いて、古海水温度を年代の関係がグラフ化された(図1)。酸素同位体比から描かれた海水温度の変遷と珪素同位体比から描かれた海水温度の変遷がよく対応しているというのが、二人の地球化学者の見解である。

 この論文の問題点は、次のようなものである。まず、珪素同位体比の変化が熱水活動による海洋地殻内での珪酸鉱物の沈殿と、熱水と海水の温度差によるものとしているが、海水の珪素同位体比の分別過程については、より詳細な検討が必要である。次に、珪素同位体比自体は温度計ではないので、温度の推定に酸素同位体比のデータを用いているため、古海水温度の変遷の妥当性は、2つの同位体比で結果がよく一致していることが求められる。図1をみると、グラフ自体は左下がりになっているものの、27億年前ごろや18億年前ごろに相違が顕著になっているのが目立つ。こうした不一致が事実なのか、データ数が少ないことによるみかけのものなのか、今後の解決すべき課題は多いといえよう。


[1] Robert, F. and M. Chaussidon (2006) A palaeotemperature curve for the Precambrian oceans based on silicon isotopes in chert. Nature, 443, 969-972.