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書評


「クラカトアの大噴火-世界の歴史を動かした火山」
サイモン・ウィンチェスター(著)柴田裕之(訳)早川書房。

 火山噴火というと私はいつも浅間山の噴火を思い浮かべる。軽井沢で生まれ育った私は何度となくこの火山の噴火に遭遇した。青空を呑み込むように広がった火山の噴煙からまだ暖かい小石や砂(火山灰)が降ってきたこと。まだ昼間だというのに火山の噴煙によって暗くなった空・・・火口から聞こえるゴーゴーという不気味な音に不安を感じたこと。ドカン!という爆発音に驚いて屋外に飛び出したこと。そして、ダイナミックに膨れあがっていく火山の噴煙に固唾をのんで見守ったこと。いずれも小学校へ行く前の幼少時の経験である。ひるがえって、クラカトア火山とともに生きた人々にとって、この火山はいったい何だったのだろうか・・・1883年に大噴火したインドネシアのクラカトア火山。この火山噴火で噴出した火山灰や火山ガスが世界的な気候の寒冷化をまねいたこと。これが私が本書に出会う前にもっていた認識のすべてであった。 

 本書を見つけたとき、まず「死者3万6千人!だが史上最悪の火山爆発がもららしたのは、それだけではない」という帯の文字が目にはいった。さらに副題に「世界の歴史を動かした火山」とある。総ページ466ページに、まだ人々にあまり知られていない歴史のドラマが膨大にあり、それらを著者が掘り起こしたのだろうか。わくわくした気分で本書を読み進んだ。

 歴史を動かした火山噴火がテーマなので、本書は噴火前にこの火山が世界の人々にどのように知られていたに対する考証からはじまる。16世紀からヨーロッパの列強国が香辛料をもとめて東インド会社を設立しき、おびただしい貿易船が行き来した。その航海日誌などにクラカトア火山に出会った人々の記述が出てくる。やがてインドネシア地域の動植物相がウォーレス線を境に大きく変化していること、それがダーウインの「種の起源」の出版に影響を与えたこと、ウォーレス線の意味がプレートテクトニクスによって理解されるようになったこと。プレートテクトニクスの成立過程にまで踏み込んだ記述に少しとまどいを感じたが、それはクラカトア火山の歴史的、そして地球科学的位置づけを一般読者にわかりやすく解説するための避けて通ことができない回り道であったことがわかってくる。

 いよいよ問題の火山噴火の経緯に関する歴史文書の考証が始まる。その記述は文章を執筆した人々を全面に打ち出したものだ。空を覆う大量の火山灰の雲。山体崩壊によって発生した津波のすさまじさ。この火山による災害の中心は巨大津波による町の崩壊にあったが、本書の前半で登場する町の成立発展が書かれているので、臨場感がわいてくる。

 さて、本書によって歴史はどう変わったのか。クラカトア火山が爆発したのは19世紀後半であり、当時ようやく海底ケーブルによる迅速な情報通信が発達しつつあった。こうした状況を反映してヨーロッパの近代文明が遠い最果ての地で起こった火山噴火の状況をすみやかに知るようになる。噴火による気圧変動が世界各地の気圧計で観測されたこと。津波の余波を世界の港の検潮儀が記録したこと。噴火の空震が遠いインド洋の島でも聞こえたこと。さらに成層圏に巻き上げられた火山灰で美しい夕焼け絵画が世界各地で描かれたこと・・・私たちがよく知っている火山噴火にまつわるさまざまな現象がこのクラカトアの噴火によって初めて世界の人々に広く認識されるようになったのだ。

 本書の中で特に興味を惹いた部分は、噴火のあとにこの火山島にどのように動植物がもどってきたかに関する生態調査である。私も伊豆大島にでかけ溶岩平原にもどってきた植物を見学したことがあり、火山噴火や山火事のあと、動植物がどのように回復してくるか興味をもっていたので、本書でこうした研究に出会えたことは大きな収穫であった。大噴火によって水没したクラカトア火山であるが、20世紀にはいって火口が水面上に顔をだすようになった。クラカトアの子どもという意味のアナック・クラカトアと名づけられた火山は、まったく生物の棲んでいない状況から生態系の回復を観察する絶好の調査地だ。そうした調査ができる場所は世界をくまなく探してもそれほど多くはないだろう。本書の著者も危険を顧みず現地に赴いて生まれた火山島の様子を見学しに行っているほどである。

 本書を読み終えて、世界史の一場面に大きく登場するクラカトア火山を実際に見に行ってみたいという思いを強くした。