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書評


未知なる地底高熱生物圏−生命起源説をぬりかえる
トーマス・ゴールド著(丸武志訳)大月書店(2000)

 最初に本書を手にしたとき、地球科学の最新の研究を扱ったたいへん刺激的な内容ではないかとピンときた。実際、読み進んでいくと、最初の期待は裏切られることなく、最終章の生命の起源問題へとたどり着く。地球深くにまだ人類に未知の微生物の世界があるのではないか。そして、地球に生息するすべての生き物のルーツがまさにそこになるのではないか。トーマス・ゴールド博士はわくわくした研究の現場へと読者をいざなってくれる。

 トーマス・ゴールド博士は約10年前に「地球深層ガス」を執筆したことで有名だ。だが、彼が天文学者であり、地球物理学者であり、若いころに聴覚の仕組みに関する実験的研究を行っていることは、フリーマン・ダイソン博士の序文を読むまで知らなかった。彼は、地球の質量分布が変化することで大きな極移動が起こる可能性を論じた論文を1960年代に発表していた。私は学生の頃その論文を読んだことがあり、ゴールド博士の名前は頭のすみに記憶していた。しかし、極移動の論文の著者が「地球深層ガス」の著者であり、「地底高熱生物圏」の著者であるとは、たいへんな驚きだ。

 最初の2章では、地球表層の生物圏が太陽からやってくる光のエネルギーと地球内部からやってくる化学的エネルギーで維持されていることが論じられる。前者は植物の光合成反応によるもので、水と二酸化炭素から炭水化物と酸素が作られる。本書で問題にされる地球深部からやってくるエネルギーで生息している生物圏は深海底の熱水噴出孔で見つかっている。そこで生息する生物は硫化水素、メタン、炭化水素を海水中の酸素や硫酸イオンで酸化してエネルギーを確保している。ゴールドは、これらの生物圏が太陽エネルギーに依存していないと主張しているが、海水中の酸素や硫酸イオンが光合成によって発生する酸素によって作られているとすれば、独立した生物圏ではないことになる。これがゴールドの仮説を検証する最初のハードルである。

 第3章から第5章では、地球深層ガス説が詳しく論じられる。ゴールドは前書に引き続いて、石油、石炭、天然ガスが地球形成期に地下深部に蓄えられた炭化水素に由来すると主張する。石油に多量に含まれるヘリウム問題や地球史を通じての炭酸塩岩と有機炭素の炭素同位体比のパラドックスを地球深層ガス説で解決しようと議論を展開している。石油の起源に関する相反する仮説は、石油起源論になじみのない読者にはわかりにくいが、地球科学における常識がいかに基盤があやふやであるかを把握するには充分である。

 第6章では、ゴールドの仮説に基づいて行われたスウェーデンでの地下掘削実験での発見が紹介され、地球深層ガス仮説との整合性が論じられる。さらに第7章ではこの仮説を拡張してダイヤモンドの起源や金属鉱床の生成まで地下の炭化水素を含んだ流体が関与していることを論じている。特に鉱床生成における炭化水素流体の役割は鉱床の成因論の新たな展開を予感させるものである。

 最後に、地球深層ガス説を受けて、地下深部での生命の起源論が展開される。この部分に関してはまだ実験的裏づけや状況証拠に乏しいが、地球以外の惑星系にも生命が発生している可能性など、新たなパラダイムを生み出す可能性を秘めている。

 ゴールド博士は、研究の日常で出会う細かい疑問やパラドックスに神経をとがらせているのだろう。それらのパラドックスが有機的につながって、本書で展開しているような大胆な仮説が生み出されたに違いない。本書は、作業仮説の提示とその検証作業という、いまや欧米では常套手段となっている研究手法を学ぶ絶好の書であり、これから研究者を目指す若い方々には是非通読してもらいたい一冊である。