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書評


石油神話-時代は天然ガスへ-
藤 和彦(2001)文春親書(2000)

 2000年秋、欧米で石油が高騰したことがテレビのニュースで大きく取り上げられた。我が国では、アラビア石油の契約更新を巡って石油の安定供給問題が浮上し、石油危機に関する人々の関心に高まりを見せた。本書は、石油価格の高騰という現象を3つの石油神話でみると、現状認識を見誤ることを指摘したものである。

 1970年代の石油危機。トイレットペーパーを求めて、人々がスーパーに殺到したことが記憶に蘇る。たしかにあのとき各家庭には石油は乏しかった。だが、その原因は、我が国の石油輸入量が大きく減少したためではなかった。人々がパニックになって石油確保に奔走し、小売業者は売り惜しみをし、マスコミがそうした行動を煽った結果であると著者は分析する。そうした石油危機は、再来するのか、意図せざる供給不足によってはそうした危機があるかもしれない。

 まず、2000年の石油高騰の原因はなにか、それは多くの人々が考えているように石油が戦略物資ではなく、もはや市場によって価格が決まる市況商品になったことである。実際には、テキサス産の原油や北海原油の先物価格が石油の価格を決めているためであると分析される。そうした視点で、石油高騰を見ると、従来の石油神話が黄昏を迎えているというわけだ。

 まず、OPEC神話。1970年代の中東危機で、一時的に石油価格が高騰した。それに便乗して、OPEC諸国は共同して石油価格をつり上げた。このことから、OPECは国際価格カルテルのようにふるまうような印象を人々がもっているというのがOPEC神話である。だが、OPECが価格をつり上げた結果、石油消費国は、非OPEC諸国からの石油確保に走り、その一方で石油に変わるエネルギーへと目を向けるようになった。その結果、石油価格は暴落した。このときの苦い経験からOPECの中心的役割を果たしているサウジアラビアは、石油価格の安定と石油の安定供給を最重要課題であると見なすようになっている。昨今の石油価格の乱高下に胸を痛めているのは、OPEC諸国自身であるというわけである。

 次に、エクソンなどの石油メジャーはどうかというと、1970年代以降、メジャーとしての地位はなくなり、石油市場への影響力を失ってしまっている。そして、収益改善のために、大手石油資本どうしの合併劇が演じられている。こうした状況をみると、かつての石油メジャーがもっていた石油の安定供給という使命を捨ててしまっている。いま、石油メジャーが石油価格をコントロールするような力はない。

 石油神話には、もう一つ枯渇神話というのがある。1970年代から「石油はあと40年でなくなる」といわれ続けてきた。21世紀前半、石油は底をついてしまうのか。石油の寿命(可採年数)は、推定埋蔵量を年間消費量で割ってはじきだされる。したがって、新規発見による埋蔵量の増分が消費量を上回れば、石油の寿命は延びることになる。著者は、ちょっと専門的になるが、キャンベル説の仮定における問題点やヒューバート曲線の適用範囲における問題点を指摘し、枯渇神話も誤った認識であることを論じている。

 ただし、楽観論の背景には、石油掘削会社などが、これまで同様の投資を行って、新規油田の探査、石油掘削技術の向上を続けることが想定されているが、石油価格の乱高下は、投資マインドを冷やすことが問題となる。また、将来的には、供給能力を上回って消費が伸びると価格の不安定をまねく要因となる。

 著者は、20世紀を石油の時代、21世紀を天然ガスの時代と位置づけている。そして、天然ガスを巡る最近の情勢を述べている。

 本書を読むと、石油市場や天然ガスなど、代替エネルギーの動向について絶えず状況変化に目を配っておくべきことを再認識させられる。また、民生レベルでは、省エネルギーに務め、分散型のエネルギー供給への移行など、エネルギー問題や環境問題へ配慮した消費選択を通じて、石油危機を回避するような取り組みの輪を広げていくべきであることを痛感させられる。

 本書は、21世紀のエネルギー問題を考えるにあたり、20世紀を振り返り、現状を理解するうえで、役に立つ一冊であろう。