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書評


失われた化石記録-光合成の謎を解く
J.ウイリアム・ショップ(阿部勝巳訳)講談社現代新書(1998)

 本書の著者であるショップ博士は、先カンブリア時代の微生物化石の大家であり、多くの専門書、教科書を編集し、また、たくさんの論文を発表している。本書は第一線で活躍する研究者が、一般読者のために書き下ろした啓蒙書である。かたくるしい論文などでは味わえない、研究者のひととなりや、探求活動の世界に触れることができるのでは・・・こうした期待を抱きながら、私は本書を読み始めたのだった。

 ページを読み進むと、まずダーウインのジレンマを説明する寓話が語られる。ダーウインの「種の起源」には、生物は突然変異と自然選択によって単純なものから複雑なものへと進化してきたことが論じられている。だが化石記録を見ると、ある生物とその祖先であったと考えられる生物の間をつなぐ化石が見つからないことが多い。こうした化石記録にみるギャップはミッシング・リンクと呼ばれてきた。「種の起源」を読むと、もうひとつ化石記録の不完全性でダーウインを悩ませていた問題がある。今日「カンブリアの大爆発」と呼ばれているように、多様な動物化石がカンブリア紀の地層から多数発見されているが、先カンブリア紀の地層から化石がほとんどみつからないのだ。はたしてカンブリア紀より前、すなわち先カンブリア時代には生物はいなかったのか。

 本書の前半(第1章から第3章まで)では、1950年代以降、盛んになった先カンブリア時代の地層から微化石の発見をめぐるエピソードを紹介している。先カンブリア時代の微生物、とくにシアノバクテリア(ラン藻とも呼ばれる)化石の発見を通じて、パレオバイオロジー研究で先駆的な研究を行ってきた著者が、バーグホーン、クラウド、グレスナーなどの古生物学者の研究のエピソードを著者自身の経験を交えて紹介している。

 第4章では、オパーリンの生命起源論、ミラーの実験的研究について、著者とオパーリンの個人的つきあいを含めて解説し、第5章と第6章では、生命とは何か、生物が行う代謝などに関する解説が続く。ここまでで、全体のページの4分の3近くが割かれている。本書の副題で、期待して読み始めると、よくある生命の起源論や生化学の解説書に書かれている内容ばかりでがっかりする。(このテーマを始めて学ぶ読者には親切ではあるが・・・)。先カンブリア時代の化石記録が研究されるようになった1960年代の雰囲気が読みとれるところは、著者ならではのストーリーであり、研究の裏話は結構楽しめる。

 第7章は、本書の心臓部であり、生物進化の様式と速度の問題が論じられる。進化様式と速度について、最初に深い考察を行ったのは、シンプソンという古生物学者で、1944年のことである。1994年に、最新のデータをもとに彼の論点が再検討され、論文集が出版されている。ショップは、太古代や原生代初期の岩石から発見されたシアノバクテリア様化石が、現在さまざまな環境で生息しているシアノバクテリアと形態が非常によく似ていることを指摘し、シアノバクテリアこそ「生きた化石」の代表であると主張したのである。そして、20億年というような気の遠くなるような時間を経ても表現型でみた進化がほとんど起こっていないことから、シアノバクテリアにみる進化様式を超緩進化という新しい専門用語で表現することを提案している。このようなシアノバクテリアの進化ののろさは、シアノバクテリアが環境にたいして融通性が大きいためであるとしている。

 第8章では、話題が真核生物の出現、性の起源、個体の生と死の出現に関する簡単な考察が述べられている。第9章は、本書のまとめであり、科学的探求の人間くささが語られる。この本を読んで、印象に残った文章に次のようなものがある。

 「科学はどうやってそういった過ちから身を守るのだろうか。いつでも頼れるひとつのスタイルがある。それは「事実による科学」であり、そこでは主張は広範な科学者社会によって綿密に試験され、確認されてはじめて受容される」