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書評


宇宙は自ら進化した:ダーウインから量子重力理論へ
リー・スモーリン(野本陽代訳)NHK出版(2000)

 私が大学院の学生だったころ、宇宙を創る4つの力の統一、すなわち大統一理論がもうすぐ確立され、宇宙の本質が解明されるのではないかという期待感があった。その後ゲージ理論をよりどころにした理論に替わって超弦理論が登場し、新たな宇宙論をめぐって議論が盛り上がり、一般向けの本の出版も相次いだ。それらは力作が多く、いつのまにか私は宇宙論マニアになっていたことを思い出す。

 本書を手にしたとき、「またか!」という印象はぬぐいきれなかった。というのは、その後素粒子物理学や宇宙論で大きな展開があったというニュースがなかったから、同様の著作がまた一つ増えたかぐらいにしか気にとめなかったのだ。だが、そうした先入観は、本書を読み出すと瞬く間に消え失せ、スモーリンが提示する新しい宇宙論の世界へと引き込まれていく。

 なぜ宇宙に生命が存在するのか。なぜ宇宙はこれほど多様なのか。そして空間と時間の本質は何なのか。こういった疑問に本書は真正面から向かい合う。これまでの現代物理学は、宇宙を創る4つの力と粒子を統一する理論を目指して進んできた。しかし、これらの理論は重力定数、素粒子の質量や電荷といったパラメータの値がなぜ私たちが知っているような値をもつのかを説明することはできない。

 この問題は深刻である。というのは、パラメータの値を大きく変えてみると、無数の星があって、たくさんの元素が存在するような宇宙は実在しなくなるのだ。こうした考察を進めていくと、現代物理学の基本原理から出発して、多様性で満ちあふれ階層性をもつ宇宙を導き出すことは不可能にみえてくる。

 そこでスモーリンは、法則自体が宇宙とともに進化してきたのではないかという歴史性にその解答を見出そうとする。宇宙の歴史性という観点からすると、宇宙は約120億年前にビッグバンによって誕生したとされている。こうして誕生した宇宙は銀河や恒星を生みながら膨張していき、最後には超新星の爆発を経てたくさんのブラックホールが残される。

 相対性理論では、宇宙の始まりもブラックホールも物理量が無限大に発散する特異点であると見なされる。しかし、こうした特異点近傍では相対性理論と量子論を統合した理論で扱わなくてはならない。まだそのような理論は構築されていないが、スモーリンは星の最期で創られるブラックホールが次の宇宙のビッグバンへと受け継がれ、繰り返していくという考えを提示する。

 しかも新しい宇宙が生み出されるとき、その宇宙を特徴づける物理量がわずかに変化する。その変化はわずかなので、銀河を生み、星を生み、最終的にブラックホールを生み出す宇宙は次の世代の宇宙を必然的に生み出していく。その一方で、不運にも星や銀河を生み出すようなパラメータをもたなかった宇宙は、次の宇宙へと開かれてはおらず、そこで断絶する。

 こうした変遷を繰り返していくと、次の世代を生む星や銀河のある宇宙だけがたくさんの宇宙を生み出して進化していくことになるわけだ。このようなわずかな変異を受けつつ世代交代してきた宇宙の一つが私たちが住む宇宙なのであり、そこには生物進化にみるダーウイニズムが重なり合う。ここまで読むと本書の副題の意味に納得することができる。

 さて、この仮説は検証可能なのか。そして宇宙の本質について、妥当なストーリーを描いているのか。これが本書の最大の問題である。スモーリンは、物理パラメータのゆらぎに対して、ブラックホールの生成率がどれくらい変化するかを調べることで、広いパラメータ空間の中で私たちの宇宙がおかれている状況を検討できるとしている。その仮説の検討には量子論と相対性理論の統一など、課題は山積みであるが、現代物理学の抱える危機を包括的に検討し、突破口としての一つの可能性を提示したことはたいへん興味深い。

 さらに本書の後半では、従来の考えと対比しながら、時間や空間の問題を哲学的にあるいは物理学的に考察し、進化する宇宙論の立場を明確にしようとする。本書を通読すると、宇宙に星や銀河があり生命が存在することは、宇宙の進化の必然の帰結であることに納得する。そして他書からでは得られない爽快な気分に浸ることができるだろう。

 人間原理のような絶対存在を持ち出さずに人間とは何かを説明するスモーリンの考えには、日本人の多くが共感できるのではなかろうか。