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エッセイ


八ヶ岳大崩壊事件

 南佐久郡小海町周辺には、小海、海尻、海ノ口、馬流など、土石流発生による自然堤防の形成、その決壊を暗示させる地名がたくさん残っている。小海町松原湖周辺には多数の湖沼があり、八ヶ岳を源流とする大月川と千曲川が合流する付近には、テラス状に土石流堆積物が堆積している。この土石流堆積物を研究していた信州大学教育学部河内晋平教授は、この土石流が八ヶ岳崩壊によるものであることを明らかにした。この土石流堆積物には多数の樹木が含まれていることで地元では有名であったが、それらがあまり腐食していないことから、歴史時代に山体崩壊があったのではないかと考えられた。

 信州の古文書史料を検討した河内晋平教授は、仁和四年(西暦八八八年)信濃の国で山崩れがあり、それが巨大河川をせき止めて湖が形成され、それが決壊してさらに下流が土石流で押し流されたという史料(三代実録など)があることに気づき、この記述が八ヶ岳の崩壊を記したものではないかと考えた。そして、土石流堆積物に含まれる樹木の炭素年代測定を行っている。

 今回、私たちは、埋没樹木の年輪と対応させて炭素年代測定を行うことで、土石流発生年を特定したいと考えた。用いた樹木は、土石流堆積物に取り込まれていた樹齢が約五00年の巨木である。中心付近、中心から年輪数にして二七五枚目、そして表皮付近から試料を採集した。得られた炭素年代値は、西暦四00年頃、西暦六五0年頃、西暦八八0年頃であった。すなわち、この巨木は九世後半に土石流によってなぎ倒されたものであり、河内教授の仮説を支持する有力な証拠がひとつ増えたと考えている。今後よりデータを増やし、誤差の評価をきちんと行って、古文書と一致することを示したい。

 八ヶ岳崩壊事件のような大規模な山体崩壊は、大地震や火山噴火に誘発されて発生するものと考えられている。ところが、この西暦八八八年の八ヶ岳大崩壊事件に対しては、地震予知連絡会も火山噴火予知連絡会も無視する立場をとっているようである。この年に長野県で大規模な地震が発生したという記録がないので、地震学者は地震が原因とは考えていないのである。一方、火山学者は、大月川岩屑流堆積物にマグマの活動を示唆する証拠がないことから、八ヶ岳を活火山であるとは認定しなかった。  八ヶ岳崩壊事件の原因論はいまだ謎に包まれたままであり、興味はつきない。