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エッセイ


生命と地球の共進化-温泉バイオマットから学んだもの

 現在の地球大気は窒素と酸素でできている。酸素は植物の光合成反応でできたものが徐々に蓄積したものだ。光合成を行う生物がいない地球以外の惑星には、酸素はほとんど存在しない。生物が行う光合成反応は、地球環境を大きく変えた偉大な反応なのである。

 地球の歴史のなかで、最初に光合成を行った生物は何か。それらはいつ頃地球史に登場したのか。私が大学院生だったころ、それは藍藻(現在ではシアノバクテリアと呼ばれている)という微生物で、何十億年も昔に海岸一帯に生息してストロマトライトという縞状の堆積岩を作ったと教えられた。だが、藍藻ってどんな生き物で、現在どこに生息しているのか。地球物理学や惑星科学を専攻した私には具体的なイメージがわかなかった。

 ところが、このような疑問を解く鍵は身近な温泉にあったのだ。私たちは地球史の解読研究を進めることになり、生物進化と地球環境の関わりを検討し始めた。生命科学者たちが、地球史研究に興味を示し、活発な議論が日常的に繰り広げられた。なかでも地球環境を大きく変えた光合成の起源や光合成生物の進化は、大きな関心事であった。

 たまたま微生物生態学の研究グループと温泉の微生物生態系に関する共同研究をスタートさせることになった。場所は高温の温泉水が噴き出す温泉の源泉。そこには、70℃以上もあるのに、温泉水中に白い猫の毛のようなものが石にへばりついて水流のなかで揺れていた。硫黄芝(いおうしば)と呼ばれる硫黄を酸化するバクテリアのマットである。温度が下がった下流へと向かうとマットはオレンジへ、そして濃いグリーンをした厚みのあるマットへと変化する。オレンジ色のマットはクロロフレクサスという光合成を行うが酸素を発生しない原始的微生物。濃い緑色のマットはシアノバクテリア。地球の歴史の初期に登場した微生物の子孫が温泉環境で適応していたのだ。バクテリアのもつ光合成色素の種類の違いによるもので、温度によって微生物が棲みわけていたのである。

 私たちは野外で使える分光器を温泉の源泉に持ち込んで、その場で光合成微生物の色素のスペクトルを測定した。濃い緑色をしたシアノバクテリアのマットの表面をはがしたらピンク色のマットがあった。そのスペクトルを測定したら、波長のずれたところに吸収のピークがみつかった。詳しく調べたら新種の光合成微生物であることがわかった。

 温泉バイオマット。異分野の研究者議論から生まれた新しい研究のフィールド。温泉水、地質、微生物がおりなすミクロの世界。地下から高温の温泉水が噴き出す温泉は、いま注目されている地底高熱生態系を探る絶好のフィールドでもある。
 分野を横断した研究の必要性が叫ばれて久しい。研究の現場を共有し、好奇心の赴くままに自由に討論し、だんだん理解が深まっていく。その結果として新しい分野が開拓される。そんな研究環境を日常的に確保できたらと考えながら、緑に包まれたキャンパスを研究室へと向かう。

(シュプリンガー・サイエンス Vol.16, No.3, 2-5(2001)より)