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エッセイ


経済発展の影で変わりゆくナミビア

 砂煙を上げて時速100キロで突っ走る車。エンジン音に驚いて逃げるスプリングボックス、オリックス、ダチョウなどの野生動物。一見したところでは4年前と何も変わらないように見えるナミビアの大地。私たちは、7億年前に地球表面が全面的に凍結したとするスノーボール・アース仮説の検証を行う新たな証拠探しに、再びナミビアを訪れた。

 真っ先に前回サンプリングを行ったコワリブ(Khowarib)渓谷に行き、前回と同じ場所にキャンプ、そこから約1キロ歩いて露頭を確認する。ホアニブ(Hoanib)川の支流のワジには、いたるところウシが歩いてできたけもの道があった。97年の調査のときには、1回ヒツジの群がキャンプサイトを通過しただけだったが、今回は毎日のように多数のウシの行列に遭遇した。

 独立から10年が過ぎ去ったナミビア。鉱産資源と畜産、水産製品を輸出し経済成長を目指すこの国の姿が、ナミビア北部の山岳地域にまで確実に浸透していたのだ。気がつくと、川の対岸に小さい集落がある。そこから人々が毎日のようにやってきた。子どもたちの数が多く、ひと夫婦10人ぐらい子どもがいるという。家畜の数と並んで人口も爆発的に増加しているようだ。

 さらに、首都ウイントフーク(Windhoek)から北西400kmの町カマンジャブ(Kamanjab)とコーリカス(Khorixas)までは舗装道路が延び、西洋文化が入り込んでいる。その先は非舗装道路が続き、人々はロバの引く荷車で移動することが多かった。今回再び訪れてわかったのだが、現地の人々にも車を所有するものが増え、ツーリストのためのキャラバンパークやロッジも徐々にではあるが増えてきている。セスフォンテイン(Sesfountain)のロッジなどは、西洋風の城壁を模した建物で、中庭は芝生が植えられ、赤や紫の美しい花が満開。そこにおびただしい数のトリが群がっていて、プールまである。まるで地上の楽園のようだ。そこは乾燥したアフリカの大地と全く異なる西欧世界。あまりのギャップにちょっと面食らったほどだった。

 アンゴラ国境に近いオプヲ(Opuwo)の町。そこでも欧州資本のガソリンスタンドができ、スーパーやリキュールショップがあった。私たちは、この町で初めてヒンバ族に会った。彼らは、動物の皮や着物を腰にまとっているが、上半身は裸で、頭から足の先、衣服にいたるまで全身を赤い染料を混ぜた乳液を塗っている。まるで異星人にでも遭遇したようなカルチャーショックを受けた。赤い人々(Red people)と呼ばれるように、彼らの身だしなみはヒンバ族の伝統的なライフスタイルを象徴している。彼らは、ときどき居住地を変えながら、ウシやヒツジなどの家畜を飼い、メロンやカボチャなどを採集して生活している。彼らの姿には、貨幣経済、西洋文化が浸透しても、今までの生活を守っていこうという決意が表明されているようだった。

 さて、ヒンバ族を象徴する赤い化粧液。それに混ぜられる赤み帯びた染料は、なんなのか。それは、私たちの調査の対象であったこの地域に分布する約7億年前のチュオス(Chuos)氷河堆積物であることがわかった。鉄分に富んだこの地層の色合いは、ヒンバ族を象徴する色とぴったり一致していたのだ。このことは、ヒンバ族の生活様式が、ナミビア北部の気候風土に密着したもので、彼らのアイデンティティは、この地を離れては存在しないことを物語る。

  だが、そうした人々にも、新たな開発の波が押し寄せている。国内の電力消費の60%を南アフリカからの輸入にたよっているナミビア政府は、ヒンバ族の居住区が広がるクネネ(Kunene)川流域に、発電用の大規模なダムを建設しようというのだ(C.Ezzell: Sci. Am., 284, No.6, 64-73(2001);フイヤートル・ブイ:関連ホームページへ)。国家的独立から経済的自立へ、電源開発はナミビア政府の悲願かもしれないが、そのために電気を使用せずに生活するヒンバ族の生活が奪われることは必至の状況である。開発か自然保護かという選択、そのための合意形成の困難さは、世界中至るところで見ることができる。だが、アフリカの奥地で今も変わらず原始的生活を営むヒンバ族に、彼らの生活を守るどんな手だてがあるというのだろうか。
 私たちは地質調査の合間に、変化しつつあるこの国の姿を垣間見たに過ぎないが、美しい自然とそこに住む平和な人々の生活のゆくえを考えると、一抹の寂しさをぬぐいきることはできなかった。
(科学、71巻、11月号より)