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スノーボール仮説


かつて地球はスノーボールだった

 今からおよそ6億年前、地球全体が氷に閉ざされてまるで雪玉のようになっていた―こう提唱する「スノーボール・アース仮説」が注目を浴びている。
 地層の謎を解読することによって、にわかに浮上してきた地球史上の大イベントだ。
 この研究から、その後のカンブリアの進化大爆発にも迫れるかもしれない。
 最前線で研究しておられる川上紳一さんにお話を伺った。

縞々学の始まり

 46億年前にわたる地球の歴史の中で、環境が激変した時期がいくつかある。なかでも有名なのが、恐竜の絶滅を引き起こしたとされる6400万年前の巨大隕石の衝突だ。わずか数センチの粘土層に含まれるイリジウムから隕石の衝突を読み解いた鮮やかな説であった。「1枚の粘土層から地球史が見えることを示したこの説は、それまでの地質学から一皮むけた、飛躍したものでした」

 この発見を手本に川上さんたちが始めたのが、地層を読んで地球の全歴史を解読しようという「縞々学」である。

 そして最近になってまた一つ、地球史上の大事件が地層から解読された。カンブリア紀は、アノマロカリスなど奇怪な生物をどっと生み出した進化大爆発で有名だが、その直前の原生代の終わり(約6億年前)に、地球全体が氷に閉ざされて、雪玉のようになったという「スノーボール・アース仮説」がそれである。

謎の氷河堆積物

 「気候学の立場からは、地球全体が凍るようなことはなかった、といわれてきました。1969年にM.I.ブディコとW.D.セラが、いったん地球全体が凍結してしまったら、太陽からの光を反射してしまい、ますます冷えて、元の温暖な状態には戻りえないと主張していたからです」

 これに疑問を投げかけたのが、赤道域を含む世界のあちこちに存在する氷河堆積物だった。砂と粘土がごたごたに混ざった堆積層で、氷河があったことを示す証拠だ。やっかいなのは、氷河堆積物のすぐ上に、炭酸塩岩の層が見られたこと。

 「炭酸塩岩というと、サンゴ礁のように温暖な地域の堆積物で、氷河堆積物のすぐ上にいきなりあるのは謎でした。氷河堆積物ではなくて、単なる土石流堆積物ではないかという人もいて、長い間、論争になっていたんです」

 さらに、氷河堆積物と炭酸塩岩の地層のところどころに、縞状の鉄鉱石の層があるのも謎でした。

 氷河堆積物については、地軸が60度傾いていれば、極より赤道のほうが寒くなり、赤道に氷河があってもおかしくないとする説もあった。しかし、それほど大きな地軸の変化は物理学的にありえない。

 氷河堆積物と縞状鉄鉱床を説明するのに、92年、カリフォルニア工科大学の古地磁気学者J.L.カーシュビンクは、地球全体が氷で覆われたのあという説を出した。

 「氷で閉ざされた海中は、光合成が行われないために酸欠になって、鉄が溶けていた。氷河期が終わると、大気中の酸素が海に溶け込んで、溶けていた鉄が酸化されて縞状鉄鉱床ができていったというのです。でも、この説は、地球が氷づけになるのは考えられないということで無視されたんです」

 ブディコとセラの、いったん全球凍結したら元に戻らない、という説が広く信じられていたからだ。

 これを覆したのがハーバード大学の地質学者P.F.ホフマンである。「全地球史解読プロジェクト」を進めていた川上さんたちは、ホフマンの誘いを受けて、97年、ともにナミビアの氷河堆積物の地層を調査した。その調査の翌年に、ホフマンは「スノーボール・アース仮説」を復活させたのだ。

 「彼らはナミビアの氷河堆積物を調べて、炭酸塩岩の炭素同位体比が、氷河期前からマイナスになっていることを発見したんです。これま、マントルからでてきた火山ガスの同位体比と同じで、氷河期になる前から海中で光合成が行われなくなったことを示しているんです。そのような状態になるためには、海を氷で閉ざせばいいわけです」

 では、雪玉のようになった地球は、どうやって温暖な地球に戻るのか?

エキサイティングな地球史の推理

 「火山活動が活発になれば、大気中に二酸化炭素が溜まる。氷で遮断されているから海には吸収されないので、徐々に温暖化が進む。現代、地球温暖化が問題になっていますが、二酸化炭素濃度は今の地球の400倍くらいにまで達したと考えられます。そうすると、全球凍結していた頃のマイナス40度くらいから、一気に60度くらいまで、約100度も気温の上昇が2000年ぐらいの間に起こることになります」

 海を覆っていた氷は、急激に融けることになる。すると、大気中の二酸化炭素が海に溶け込み、酸性化した海で一時的に石灰岩が溶け出す。やがて、陸からカルシウムイオンが運ばれるにつれ、石灰岩が堆積していく。つまり、氷河堆積物のすぐ上の炭酸塩岩層も説明がつく。「スノーボール・アース仮説」は、地質学的な疑問を氷解される、鮮やかな説なのである。

 「気候学的には、全体が凍るとき、そして元の温暖な気候に戻るときに、どのようなプロセスをたどるのかが、説明すべき課題です。また生物学的には、凍った海、急激に温暖化した熱い海で、生物がどうやって生き延びていったか、を解明する必要があります。分子生物学によると、多細胞動物は全球凍結の前に生まれています」

 カンブリア紀における進化大爆発がどのように起こったのか、ここから解けていくかもしれない。

「とてもエキサイティングな研究になりつつありますね」

 地層の新しい読み方によって、これまで読めなかった地球の歴史が読めるようになってきている。まるで推理小説でも読むような面白さが、地下に埋まっているのだ。

(以上 グラクソ・ウエルカムニューサイエンス、No.39、8-9(環境の科学)より)

追加

この2枚の写真は、ナミビア(SWアフリカ)における試料採集地点とそこでの作業の様子です。