岐阜大学教育学部理科教育講座(地学)
理科教材データベース
書評:世界を変えた地図-ウイリアム・スミスと地質学の誕生
サイモン・ウィンチェスター(著)・野中邦子(訳)早川書房, 2004年7月10日.



 本書は、18世紀末から19世紀はじめにかけてイギリス中を旅して地層を調べ、世界で初めて一国の地質図を作成したウイリアム・スミスの物語である。ウイリアム・スミスは、地層累重の法則を発見し、産出する化石に基づいて地層を認定するという方法で、層位学の基礎を確立した人物である。彼の活躍した時代は、まだ古いキリスト教の世界観が蔓延しており、地質学における理論や学説は思弁的な雰囲気で包まれていた。

 ウイリアム・スミスは、独学で測量学を学び、イギリスで進行しつつあった産業革命による余波を受けて、石炭の探査、炭坑、石炭を都市に輸送する手段としての運河の開削事業など、エンジニアとして多くの現場に立ち会った。あるとき深く彫り込まれた石炭の採掘孔で異なる層相をもつ地層の重なりに注意を注ぎ、地層が三次元的にどのように広がっているかをイメージしていく。そして、そのイメージが妥当なことを別の場所にみられる地層の重なりで実証していった。

 こうした地層の対比は、場所が遠く離れると同定が困難になる。また、似たような地層が繰り返している場合には、それらの識別も一筋縄ではいかなくなる。彼は、こうした場合でも地層から産出される化石に着目することで、対比が可能になることを示していった。

 やがて、ウイリアム・スミスは、地図製作業者といっしょに仕事をするようになり、自分の目で確かめ、蓄積した情報を地図に表現しようと思い立つ。まだ誰も構想したことがなかった地下の構造を色分けした地層の分布として表現した地図、すなわち地質図をつくろうというわけだ。それは一つの国を網羅するほど大きく、しかも歴史に残る立派なものを!

 しかし、ウイリアム・スミスは、上流社会の出身ではなく、あくまでも現場を渡り歩く技術者に過ぎなかった。彼は、上流社会の人々とつき合ううちに浪費ぐせがつき、常に経済的に厳しい状況に追い込まれた。彼は、立派な地質図を完成させることで経済的見返りが得られると期待して、遅れ気味の作業に取り組んでいった。だが、設立したばかりの地質学会のメンバーが、ウイリアム・スミスの作成した地図をまねて廉価版を出版したため、その企ては失敗し、ついには刑務所に収監されることになってしまった。

 スミスの功績が評価されるようになるのは、60才を過ぎた晩年になってのことである。世界初の地質図をつくろうという野心、その実現に生涯を捧げるまでの努力、そして不運と社会からの冷遇・・・。後半は、まるで悲劇のヒーローのような展開である。

 しかし、歴史はスミスの業績を正しく評価した。そのハッピーエンドとも言える締めくくりに、読者はホッと安堵の気分を味わうことになるだろう。地質学の黎明期の混乱した状況を背景に、波瀾万丈の人生を歩んだウイリアム・スミスの物語を描いた著者のサイモン・ウィンチェスターは、本書でも地質学の魅力を存分に描いている。




戻る