キュヴィエの激変説

ジョルジュ・キュヴィエ(1769–1832)。ズーム
ジョルジュ・キュヴィエ(1769–1832)。
1805年(36歳)ごろの肖像画。
Rudwick [n.d.] p.75
キュヴィエとブロニアールによる、パリ盆地の柱状図。ズーム
キュヴィエとブロニアールによる、パリ盆地の柱状図。
Ager 1993. p.3
18世紀、スミスWilliam Smith, 1769–1839, イギリスの地質学者〕やキュヴィエGeorge Léopold Baron Cuvier, 1769–1832, フランスの博物学者〕は、地層によって産出する化石の種類が異なることを用いて地質図を作成しました。
キュヴィエは、パリ盆地の地質図を作成し、マンモスのように、過去に生きてたが、現在は絶滅している動物がいることに気づきました。そればかりでなく、多数の生物種が一斉に絶滅している時期があることにも気づきました。
このことからキュヴィエは、聖書にあるノアの大洪水を思わせる天変地異により生物種が絶滅したという、激変説を唱えました。
しかし、キュヴィエらの激変説は、ハットンJames Hutton, 1726–1797, スコットランドの地質学者〕とライエルSir Charles Lyell, 1797–1875, イギリスの地質学者〕の斉一説や、ダーウィンCharles Darwin, 1809–1882, イギリスの生物学者〕の進化論により、否定されました。そして、長い間忘れ去られていたのです。
文献
Ager, D. 1993. The New Catastrophism. Cambridge, Cambridge University Press.
Rudwick, M.J.S. [n.d.] Georges Curier, Fossil Bones, and Geological Catastrophes. p.75