放射能の発見
1896年、ベクレル〔Antoine Henri Becquerel, 1852–1908, フランスの物理学者〕は、ウラン鉱石が写真乾板を感光させる能力を持つことを発見し、放射能と名づけた。
1903年、キュリー夫妻〔Marie Curie, 1867–1934, ポーランド→フランスの物理学者〕〔Pierre Curie, 1859–1906, フランスの物理学者〕は、ラジウム試料が放射能により発熱することを発見した。まもなく、放射能は自然界にも存在しており、放射性物質が地球の熱源となることがわかった。
放射能の発見により、“地球は原初の熱を失うのみである”というケルヴィンの前提が覆った。しかし、地球内部の熱源を考えても、地球の年齢が太陽の年齢を超えるという問題は残っていた。
1930年代になって初めて、太陽のエネルギー源は太陽中心部の核融合反応だと明らかになり、地球の年齢のパラドックスは解決した。
地質学者の時計: 地球の年齢を推定する
1902年、ラザフォード〔Ernest Rutherford, 1871–1937, ニュージーランド→イギリスの物理学者〕らは、放射性元素は放射能を出してほかの元素に変わっていくこと、その過程でヘリウムが放出されるという説を唱えた。
1906年、ラザフォードは、ウランとヘリウムの割合を調べることで、鉱物の年齢を測ろうとしたが、困難だった。一方同じころ、ウランが崩壊すると鉛になることがわかり、ウランと鉛の量比から鉱物の年齢が推定できると考えられた。
ホームズ〔Arthur Holmes, 1890–1965, イギリスの地質学者〕は、鉛がウランの崩壊の最終産物であることを証明した。また、どんな環境でも崩壊速度は一定であることを示し、地質学における年代測定の原理を確立した。