バリンジャー・クレーターの成因

この構造は1880年代になって初めて注目された。G.K.ギルバートはこれが天体衝突起源だ直観し、地下に埋まる星を発見しようとした。しかし見つけることができなかったため、成因は天体衝突ではなく、水蒸気爆発だと主張した。しかし、D.M. Barringerは天体衝突起源だという信念のもとに私財を投じて星を見つけだそうとした。

バリンジャー・クレーターの研究史

このクレーターは、クーン・バット(Coon Butte)、クレーター・マウンテン(Crater Mountain)、フランクリン・ホール(Franklin Hole)、メテオール・クレーター(Meteor Crater)などとも呼ばれ、地上のクレーターの成因を巡る初期の研究では重要な役割を果たしてきた。
ことの発端はこの地域で羊の番をしていた人々が1880年代に銀の塊を発見したことに始まる。しかしこの塊は銀ではなく、鉄‐ニッケル合金だった。その破片のいくつかは、フィラデルフィアのフート(A.E. Foote)の手に渡った。1891年フートはみずからこの地を調査し、巨大な円形の窪地を発見した。しかしフートは、この特異な円形の窪地がどのようにできたのか説明できなかった。しかしその後、あの鉄‐ニッケル合金の塊が、鉄隕石だとわかった。
1891年、ギルバート(G.K. Gilbert)がこの構造に興味をもち、訪れた。彼はこの円形構造は天体の衝突でできたと直観した。そして、円形の窪地に眠る星を掘り出そうと意気揚々として現地に向かったの。地下に巨大な鉄の塊があるとすれば、磁気探査で見つかるはずだったところが磁気探査は、巨大な鉄は存在しなかった。ギルバートは「私は星を探し出せなかった、なぜなら星がそこに存在しないからだ」と述べ、この構造の成因は、天体衝突ではなく水蒸気爆発だ主張した。彼らの主張は、その後30年にわたって天体衝突現象と地上の衝突クレーターの研究を遅らせた。皮肉にもギルバート自身はその後、月面のクレーターに興味をもち、それらが衝突でできたものだという立場で研究していた。
こうした中で、バリンジャー(D.M. Barringer)がアリゾナの円形構造に関心を示し、キャニオン・ダイアブロ隕石と関係づけて天体衝突構造だと直観した。そして、地下にあるはずの古代な隕石の塊を探した。1900~1910年代にかけて彼は私財を投じてクレーターの底でボーリング調査をした。しかし、鉄の塊は見つからなかった。鉄隕石は衝突でバラバラに破壊され飛び散ってしまったからである。
しかし、バリンジャーの執念によって、1920年代の終わりには多くの人々が、アリゾナの巨大な円形構造が天体衝突でできたと考えるようになった。