潜爆発構造

潜爆発構造の地下断面の概念図。ズーム
潜爆発構造の地下断面の概念図。
W.H. Bucherは、20世紀前半に活躍したアメリカ合衆国の地質学者のひとりである。彼は、1920年から21年にかけてサーペント・マウンド(Surpent Mound)を調査しており、その奇妙な構造がどのようにできたのかに頭を悩ませた。サーペント・マウンドや直径6 kmの円形の丘である。頁岩や石灰岩でできており、丘の頂上付近からはオルドビス紀の化石が発見された。化石が発見される地層は、サーペント・マウンド周辺では地下300 mにあるので、この丘だけ地層が大きく盛り上がっていることを示唆していた。
同様の構造はドイツ西部のシュタインハイム盆地(Steinheim Basin)でも記載されており、クリプト・ボルカニック(cryptovolcanic)構造と呼ばれていた。Bucherは、同様の構造を調べ、1936年までにサーペント・マウンド、ジェプサ・ノブ(Jeptha Knob)、アップヒーヴァル・ドームデカチャヴィルウェルズ・クリークケントランドを調べた。これらの地域では地下からマグマが上昇してきたが地表にまで達しなかったため、隆起構造だけが形成されたのだと考えた。
クレーターの形成と侵食過程。ズーム
クレーターの形成と侵食過程。
1936年になって、J.D. Boon とC.C. Albritton, Jr.が、天体衝突によって円形の窪地が作られると、その中央部は反動によって盛り上がると考えた。潜爆発構造は、形成されたクレーターが深く侵食されて、クレーターの中央部だけが盛り上がった構造として地形表面を起伏させているという考えである。BoonとAlbrittonは、Bucherのリストに加え、Flynn Creek、Sierra Madera、Vredefortをクリプト・ヴォルカニック構造に加えている。ただし、彼らの考えでは、クリプト・ヴォルカニック構造も天体衝突の傷跡ということになるが、最初のこれらの構造に注目したBucherは、あくまでも潜爆発構造という立場をとり、後年まで衝突説に反論している。