天体衝突の物証の発見

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シャッターコーン

Boon とAlbrittonが提案した潜爆発構造が天体衝突によるという説は、長く見過ごされてきたが、1947年になってR.S. Dietzによって再び議論の舞台へと持ち出された。Dietzは潜爆発構造における共通の特徴として、中央部の盛り上がりと破砕された岩石に注目した。破砕された岩石はシャッターコーン(shatter cone)と呼ばれるもので、三角錐状のブロックの頂点は、隆起構造の中央部に向かって放射状に分布しており、それらはまるで爆発点の場所を指し示している。しかも爆発点は地下の深部ではなく、隆起構造の上空を指し示していた。さらにシャッターコーンの表面にはほぼ平行に配列する無数の条線が形成されていた。これらの観察から、Dietzは潜爆発構造が衝突起源を示す証拠になるとみなした。その後核実験でできたクレーターからもシャッターコーン様の破砕された岩塊が発見され、強い衝撃を受けた岩石に特徴的な破断面だと見なされるようになった。

シャッターコーンの見つかった潜爆発構造

(Dietz (1959, 1960)による)
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コーサイトとスティショバイト

1953年鉱物の生成環境を調べる実験をしていたLoring Coesは高圧下で石英が密度の大きい新鉱物になることを発見した。この発見がきっかけとなって新鉱物を天然の岩石のなかから見つけだそうという試みが行われた。
さらに1956年になると、ジェネラル・エレクトリック社(General Electric)のF.P. Bundyらが人工的にダイヤモンドを合成することに成功した。キャニオン・ダイアブロ鉄隕石からダイヤモンドが見つかっていたので、バリンジャー・クレーターの岩石にもダイヤモンドが含まれているのではないか。コーサイトは、アメリカ合衆国地質調査所のE.C.T. Chaoとシューメイカー(E.M. Shoemaker)によって発見されることになる。
ChaoとShoemakerの発見によって、世界各地の“衝突構造”の見直しが始まり、1961年にドイツのリース、アラビアのワーベル、続いてアフリカのボスムトゥイからもコーサイトが発見された。
さらに同年、ソ連のスティショフ(S.M. Stishov)とS.V. Popovaが、さらに密度の大きい鉱物の合成に成功した。この鉱物は、『スティショフ』から、スティショバイト(Stishovite)と名づけられた。スティショバイトは、バリンジャー・クレーターの砂岩からも見つかった。