ワーベル・クレーター

発見の物語

ワーベル・クレーターはアラビアの砂漠にある直径約1 kmほどの衝突でできたクレーターである。1933年にイギリスの探検家ジョンP.フィルビーが発見し、世界的に有名になった。
フィルビーは、ルブ・アル・カリ(Rbuˀ al Khali)の調査のため長期にわたってアラブに滞在していた。彼は、古代都市ワーベル(Waber)が空からやってきた火で完全に破壊されたという伝説にこだわっていたのである。この都市はこれまで見過ごされていた文明の中心地だったのかもしれないのだ。しかもその遺跡がアラビアの無人地帯のどこかに残っているという噂があった。
彼は古代都市のことなどどうでもいいアラブ人たちを引き連れて無人地帯を時間かけてさまよい歩いていたのである。その旅は並大抵ではなかっただろうが、古代史に対するロマンと情熱が彼の探検への意欲をかきたてていたのだ。目標は伝説に登場するラクダほどの大きさのある巨大な鉄の塊。フィルビーは、それが古代都市のモニュメントだと期待していた。
ある日、フィルビー隊は、円形の窪地のそばを通りかかった。あたりは砂漠の砂で覆われており、アラブ人たちは円形構造の下には古代都市の建築物が埋もれているのではないかと期待したが、当のフィルビーは、カルデラ(陥没した火山口)だと思った。
ところで、この地域では、古くから黒く輝く物質が砂漠の砂から発見されていた。アラブ人たちは、これを黒い真珠といって珍しがり、メッカにもっていて売っていたが、ろくな金では売れなかったという。フィルビーもそうした物質を採集したが、重く表面はさびついており、鉄隕石のかけらではないかと考えていた。しかし、鉄隕石と円形構造の関係にはまったく考えが及ばなかったようだ。
一方、バートラム・トーマスもアラビアの無人地帯を探検し、1931年にイギリス地理学会誌に探検の報告を発表した。フィルビーもイギリス地理学会会員で、参考資料としてその雑誌を所持していた。たまたまその雑誌に、アフリカのガーナにある円形の(ボスムトゥイ湖)が天体衝突でできたのではないかという記事が掲載されていたのだが、ある日この記事が自身の探検と接点があることに気がついた。
こうして、古代都市を探して発見された鉄隕石、円形の地形、イギリス地理学会誌という3つの独立事象が偶然結びついて、彼自身が発見した円形構造が衝突でできたクレーターだという考えに到達した。これは地球の衝突クレーターに関する6番目の発見である。クレーターの発見のエピソードには、科学的発見の偶然性(セレンディピティ)が多くある。そのなかで、古代遺跡への情熱が予期せぬ発見をもたらしたフィルビーの発見は、実に興味をそそるものである。