カンポ・デル・シエロ・クレーター群

このクレーター群はアルゼンチンの北部にある。
16世紀にこの地にやってきたスペインの探検家たちは、現地のインディアンたちから巨大な鉄の塊が空から降ってきたという驚くべき話を耳にした。その場所はPiguem Nonraltaと呼ばれていた。それは“空の野原”(Campo del Cielo; Field of Sky/Heaven)という意味である。
1576年、Hernan Mexia de Miravalを隊長とする調査隊が現地を訪れ、巨大な鉄の塊から小片の試料を持ち帰った。その巨大な鉄の塊は15トンもの重さがあり、“鉄の食堂”(Meson de Fieffo; Large Table of Iron)と呼ばれた。
1774年と1776年にBartolome Francisco de Magunaの探検隊が、現地から試料を持ち帰った。1779年にはFrancisco de Ibarra隊、1783年にはRibom de Celis隊が訪れた。1803年には900 kgのオトゥンパ(Otumpa)鉄隕石が発見され、大英博物館へ運ばれた。その後、周辺から多数の鉄隕石が見つかっている。それらはニッケル含有量が低く、アタキサイト(ataxite)あるいはヘキサヘドライト(hexahedrite)に分類された。
1913年にManuel Satinllan Suarezが、ガンセド(Gancedo)町の南15 kmの地点に円形の窪地が3つ発見した。これらの窪地はJ.J. Nageraによって調査された。彼はこれらの窪地はインディアンたちが鉄の塊を隠すために掘ったものだと考えた。
L.J. Spencerは、これらが天体衝突起源だとし、1933年までに確認された5個のクレーターのリストに含めた。